さらりさらり ふわりふわり

13年間ADHDを疑い続けようやく診断をもらいました。人生やり直すため日々悪戦苦闘中。整理収納アドバイザーを目指しています。

無題

twitterで#発達障害をしょっちゅう見るようになった。
役に立つこと、ほっとすること、新たに発見することがたくさんある一方で、そっちにズブズブに浸からないようにしなくてはという自分がいる。
発達障害の特徴や理解を求めることを否定するつもりはまったくなくて、どちらかというと自分を守るためだ。

残念ながら私は多数派側ではなく、失敗や迷惑を繰り返し人に煙たがられ鬱になりながらもそれは発達障害のせいで、でもそれをわかってほしいと切に願った時期はあったけど、自分も含めて人は簡単には変わらないし分かり合えないことを痛感した。
多数派の人を敵視して閉じこもることを選んだこともあったけど、それをしていると自分の中でも外でもしんどくなってしまった。他人を認めないとどんどん自分の首を絞めるだけだったからだ。

その結果、世の中にはいろいろな人がいていろいろな言い分があって、それぞれ尊重されていいと思う、という考えに至り、巡り巡って自分も楽になることができた。
自分は気合いでどうにもならない。気合いで乗り切ることを良しとする人もいる。私のことをわかってもらえなくてもいいし、相手を受け入れなくてもよい。
相手は私を否定してるかもしれないけれどそれを通じて自分の存在を肯定したいだけなのだ。肯定したいポイントを見抜いて、そこを丁寧に肯定しておけばだいたいは穏やかにおさまるので、あとは距離を置いて自分を守ることにしている。

自分以外の人の言い分や考えそうなことは頭に入れておいて、ふさわしい受け答えや振る舞いを少しづつストックしておく。社会で生きる人のふりをしながらびくびく距離を測りながら生きている。

生き方には正解がないようなので、自分なりの生き方を自分が納得するまで模索し続けようと思っている。