さらりさらり ふわりふわり

13年間ADHDを疑い続けようやく診断をもらいました。人生やり直すため日々悪戦苦闘中。整理収納アドバイザーを目指しています。

子どもの頃

この間の診断では子どもの頃も今もADHDということだった。
想定外だったのは、私のADHDは多動型だった。そして自閉の傾向が少し出ているとのことだった。
私は授業中立って歩くことはなかったかしケアレスミスが多くよく転んでたからハイパーがつかないほうだと思い込んでいたけど、冷静に冷静に思い起こしてみると私が思い出したくないことはたいてい衝動がつきまとっている。納得した。うん、私は多動型だ。
振り返りたくない記憶に蓋をしていたので、このことがきっかけでああそういえばといろいろ思い出してきては、うーむとなっている。以前ほど腹は立たないし、そりゃ誰でも嫌がるし怒られるよなぁ…と思う。思い出して辛くはなるし、どんどん押し寄せてくるのでボトルネックになりそう。それでもひとつひとつ、仕方がない終わったことだとシールを貼って無意識に戻す。
自閉の傾向も納得が行く。私は小さい頃無表情でご飯も食べない子だったらしい。なんで笑わなきゃならんのかわからなかったし、なんでご飯をたべなきゃならなんのかもわからなかった。学校になんで行かなきゃならないのかもわかってなかった。今もそれに近いものはあるかも…
何か言うと大人とくにうちの父親がみるみる腹を立て、あとで母親に余計なことを言うなとか、家での話を他人に言うなと釘を刺された。
話す内容まで管理されるのが息ぐるしかったけど、そうならざるをえない背景があった。
私が育ったところは相当な田舎で、逃げ場がまったくなかったところだったからだ。最初は母親の言う意味がわからなかったけど、特に中学になってからは痛感するようになってきた。老若男女関係なく親戚も含めてコミュニティからの監視されたような根深い怨念!みたいなのから逃れたくて仕方がなくなってきた。
母親に感謝しているのは、勉強を好きにさせてくれたことだ。学力のおかげで外へ出ることができた。もちろん親の支援あってこそなのだけど…
とりとめなく書いてしまった。