さらりさらり ふわりふわり

13年間ADHDを疑い続けようやく診断をもらいました。人生やり直すため日々悪戦苦闘中。整理収納アドバイザーを目指しています。

感情のままに書く 1

ストラテラもだいぶ慣れてきて、自己肯定もできるようになって、大きなミスがだいぶ減った。
自然と動くこと、考えることが、世の中に沿っていることも増えてきた。
見直しや確認作業が苦痛なく必然に思えてきた。
自分はいつか大きな失敗をするという、得体の知れない恐怖も薄らいできた。
調子に乗りすぎることも減ってきたと感じる。
そして、これらを改めて思い返すと、失敗しない状態があたりまえに感じる瞬間が増えている実感とか、なんで悩んでいたかなんてふと忘れていることに気づく。
そう、自分がADHDであることを忘れていることが増えてきていることは否めない…。ADHDがない人々はこれが通常運転なのだろうか?

そう書きつつも、たまに無性に食欲がわいたり、妙にイライラすることで、薬を飲み忘れていることに気づく。やはり薬あってこその生活なのだなぁ。

今年のはじめは自分のことばかりで精一杯だった。それが診断をうけて薬をのんで約半年、こうも変わるものか…
診断を受けられてよかった、薬を処方してもらえてよかった。

自分の余裕ができると、まわりに思いをはせることができるようになってきた。
まずは両親やその親…つまり祖父母のことだ。

自分が診断されたていで自分の血統、つまり親族を見渡すやはりADHDの傾向が非常に強い。今でこそ多様な価値観が認められるようになってきたけど、そうじゃない時代を生きざるを得なかったのは、どれだけの苦労があっただろうと思う。
人は否定され続けると、自分を肯定する術を求めるのは自然で…だから…宗教に心身を捧げるようになったのだと思う。
私と両親の宗教問題を語ると…嗚咽なくてはやってられない感じなので、フタをしておく。

母方は特に知識欲が旺盛な家系で努力が得意だったから、勉強や仕事で人より抜きん出ることに生きがいを見出し、知性に価値を置かず自分らを否定する人々を拒否しまくっていた。
自分が良いと思うことは激しく正しいと思い込み、相手の言い分も聞かずに押し付けてくるのが今でも鬱陶しい傾向である。
ただ、母方の家系で救いがあり、そしてとても良いところは、人をほめることに重きを置いていたことだ。

父方の祖父は、戦時中は優秀な軍人だった。戦後、自分をひたすら責め菩提のために宗教に救いを求めた。そして人のために生きたいと祖父は政治の道に身を捧げることを選んだ。祖母は病弱も手伝い人と接することを避けて人付き合いは祖父にまかせてひっそり過ごしていた。覚えているかぎりの彼女の言動を思うと自閉傾向が彼女にはあった。物腰が穏やかで優しいひとだと思ってたけど、今思い出すと人の気持ちに沿うことが苦手だったんだなぁ…。割と酷いことを曰わってた。祖母の子どもたち、つまり父の兄弟はこの傾向がばっちり遺伝して、ひたすら自分を出さずに生きるか、ひたすら他人に攻撃的か、のどちらかになってしまった。
残念ながらコミニュケーションが苦手な一族だったので、祖父が他界してからは比較的コミニュケーション能力が高めなうちの父ががんばってたが、今ではバラバラだ。

今日はこれでおしまい。